● 過去と今と、そして未来  ●

あの日、打ち上げたペットボトルロケットは太陽に照らされて、キラキラしていた。
しかし、墜落した場所で出会った人が流していた涙の方がきれいに見えた。
それを今でも鮮明に覚えている。

――強烈な印象。瞬時に思った。この人が欲しいと。

今まで、興味という興味を示したことがなかったこの世の中で、たった一つだけの特別な存在に出会ってしまってから、世界は一変した。



物心がついた頃には、自分の周りに兄弟がたくさんいて、それが当たり前だったから家族というものが本当はどういうものなのか分からなかった。
普通の家庭に生まれた子には、母親と父親というものがいて、愛情をたっぷり注がれて育つ、ということを、子供向け番組を見て知ったと思う。
だから、ここにいる人たちは、何らかの事情で両親と暮らせない子供たちを代わりに育ててくれているのだと、小さいながらに悟った。

預けられたと最初は聞かされていた。
「だから、両親はいるし、いい子にしてたら迎えにきてくれるよ」
なんて言葉を信じていたときもあった。

けれども、成長するにつれて、捨てられたということが、なんとなく分かってしまった。
自分の子供に、名前もつけず預けるなんてまずないと思ったから。
園にいる子たちには、様々な理由がある。親がいるのに一緒に暮らせない子もいる。しかし、どんな理由があるにしろ、大抵の子供は、生みの親から名前を付けてもらっている。

憶測ではあるが、園の人はきっと、色々な手段を使って両親を探していたのだろうと思う。
音沙汰がなかったということは、見つからなかった、もしくは拒絶されたか、だ。


僕の、私の、おとうさんとおかあさんって誰?
なんで、自分にはおとうさんとおかあさんがいないの?

こんな言葉をよく耳にしていた。
泣きじゃくって母親代わりの人に縋り付くこども達を見て、ああいうことは相手を困らせるから、絶対にしたくないと思った。


そんな生活の中で、どうしたら周りに迷惑をかけずに生きていけるかを学んだ。
自分で出来ることは自分で。
他人に頼ってはいけないという思いが、人一倍強かったと思う。
やりたいことも、やりたいと言える状況ではなかったし、自分が我慢すれば丸く収まる。
そこで、我慢できてしまうあたり、そもそも、興味が薄い子供だったのだと思う。

育ててもらった園には、すごく感謝している。
施設があったからこそ、自分は不自由なく生きてこれたのだから。
だから、同じ境遇に立たされてしまった子供達を少しでも助けることができたら、と思っていた。

勉強はできるにこしたことはないから、きちんとしていた。
中学を卒業してからは、園を出てアルバイトをしつつ勉強もしていた。
この先、園に携わる仕事をするには、福祉系の大学に行かなければならなかったからだ。
周りから見れば立派な夢だと言われるが、この進路が一番自分には適切だと思っていたからで。決して自分が人生を妥協して出した結論でもなかった。


人と接するのは嫌いじゃない。
好意を向けられれば、それに見合った好意で返す。慣れてしまえば簡単だし、いい人もたくさんいる。
園で教わった。
人に優しくされたら、2倍の優しさで返しましょう。
嫌なことも自分から進んでやりましょう。
良い行いは、全部幸せで返ってくるからです。

実際そのとおりで、働くのに、この処世術はとても役に立った。アルバイトを紹介してもらえたり、息子のようだと可愛がってくれ、色々と面倒をみてくれたりもした。
不満があったわけじゃないし、この時はこの時で、幸せだったのだと思う。


けれど、一番の幸せは、ヒロさんと出会えたことで。

自分の中に、何をしてでも手に入れたいと思う気持ちがあるなんて知らなかった。
でも、こんな気落ちは初めてで、どうしていいか分からなくて、相手の気持ちも無視して押しかけた。

「のわき」

形の整った薄いきれいな唇が自分の名前を発音してくれることが、どうしようもなく嬉しくてたまらない。
名前を呼ばれて嬉しかった記憶なんてない。
あぁ、よく台風の子だってからかわれたっけ。ちょっとだけ嫌だったけど、ヒロさんが初めて呼んでくれた瞬間、自分の名前が好きになった。

ヒロさんと出会ってから、今まで普通に過ごしてきた日常が、何もかもが特別に見えて、感じて。
ヒロさんと一緒にいるときは、嬉しくて、苦しくて、切なくて。
ヒロさんを知れば知るほど、今まで知らなかった感情が生まれる。
ヒロさんへの想いが身体中膨らみすぎて、窒息してしまいそうで。

だから、ヒロさんが無意識に他の人の名前を呼んだとき、頭が真っ白になった。

ヒロさんが俺を好きになってくれるには、何をしたらいいのだろう。
そんなことを考える余裕もなく、他の人の名前を呼んだ唇を、自分のそれで覆った。

もう他の人の名前を呼ばなければいいのに。この人が自分のものになればいいのに。

そして、この感情が、嫉妬だということをこの時初めて知った。

ヒロさんは、多分ずっとあの人のことが好きで、どうしようもない想いに苦しんでいて。
人の顔色を窺って生きてきた分、なんとなく雰囲気で分かってしまった。
人に焦がれる感情は、相手の想いが自分に向けられていないと、辛いだけだということを、今、身を持って知っている。
でも、そんなヒロさんを救いたい想いよりも、自分の想いを分かって欲しい方が上回っているなんて、これはエゴだろうか。

弱っているところにつけ込んで、困惑しているヒロさんに、好きだから受け入れてくれ、だなんて、ずるいやり方だと思う。
本当は、こんな強引なことをするはずじゃなかった。完全に見切り発車してしまった。
けど、ずっと触れたくて堪らなかったヒロさんの身体に触れた瞬間、理性が保てなくなった。

好きで、好きで、好きで、好きで、どうしようもないくらい好きで。
この想いが、重なった身体から伝わればいいと。
ヒロさんが、この熱を忘れられなくなればいいと。
少しでもいいから、好きになってくれないかと。
――強く、強く願った。

覆水盆に返らず。もう戻れないし、戻るつもりもない。
拒絶されなかったということは、受け入れてもらえたのか、好きでいることを許してもらえたのだろうと都合の良い勝手な解釈をしてしまう。
今はまだ、気持ちが追いつかなくてもいい。
毎日、そう、会えなくても毎日。
「ヒロさん、大好きです」
と言うから。
その瞬間だけでも、俺のことを考えてくれればいい。



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原作はヒロさん視点寄りで描かれている部分が多いので、野分がヒロさんに出会った時から、思いを告げるまでを野分視点で考えてみました。2話のストーカーもどきなヒロさんの話に繋がるようにしてみました。
が、どうしても野分の過去に遡ってしまい、悶々と考え始めたら、止まらなくなりました。
生まれた時から孤児ですもんね。そう思うと、両親の死別や離婚で施設に入ってる子よりもハードだよなぁって。
施設育ちの子は、やっぱり学校でもちょっと浮いちゃいますよね。
実際、私が小学生だった頃は施設から通っている同級生がいました。
本人の前では、子供なりに気をつかって、家族の話をしないようにするんですけど、それが逆に傷つけていたりしないかな。と思います。

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